JOURNAL ASIA
 

私はコミュ障か

人の言動がどうしても 否定的、排外的、不誠実だと思うことが多い、と自覚のある、あるいはないけれども体感として分かる人、 反対に極端だと感じる人が周りに居るという人へ

少し落ち着いたので、伝えたいと思います。
関心がある人に読んで頂けたら幸いです。

基本的に私は普段、感情は私自身ではないので、私にとって抱く感情は大切ではなく、感情に惑わされることなく、起こった物事やその状況下でどう対応するかを考える。
だから、感情的になったり、迷うこともなかった。
義理人情とかも無意味だと思ってる。不毛というか。
なので基本的には冷たいというか冷静でいられるし、
感情のコントロールもわりとできている方だと思っている。w

しかし、先日、あまりの人の不誠実な言動に対峙し、さらに「それはヒドい」と反論する私を押さえつけ、不誠実な人の言動を擁護する人達がいて、大きなショックを受けて、それを機に私の中にあった何かがピークに達したようで、頭が物凄い混乱を起こしてしまい…。

もしかして私(の感覚)がおかしいのか、間違っているのか…?????

そんな風に生まれて初めて思って。

友達に相談しても返されるのはその人の主観でしかないので、(それがわるいということではなく、それが必要ならそれでいい。ただ今回のケースについては)第三者の専門家に客観的かつ合理的にジャッジしてほしいと強く願い、自ら精神科を受診。

ずっと昔から、否定・排外されたと感じると泣き出してその場を去ってしまうのも、そうなってしまう人(達)との関係を絶つのも、私にとっては自然なことだったから、その理由や原因なんて考えたこともなかったけれど、精神科では「対人緊張」があるのだろう、ということで、その場合、脳やホルモンの問題ではないため、薬物療法ではなく、臨床心理のカウンセリングを受けた方がいいと言われ、それで解決するならと早速カウンセリングなんて今までうさん臭いとしか思ってこなかったものを受けてみた。

以前、婦人科で「感情障害を起こしているのね」と言われたことがあったため、PMS絡みなのかなと漠然と思うようになってたけど、全然関係ないみたい。というか普通に考えてPMSは月経の訪れとともに消えるんだもんね…。

カウンセリングによれば、“自分の感覚がおかしいのか、私が間違っているのかをジャッジしてほしい”という白黒つけたい気持ちが強いところが自分を苦しめているという。

「普通の人よりも、人の言動に過敏すぎる特徴がある」らしく、それを認識しておくといいらしい。<もし、携わりたいと思うこと(=団体行動を伴う)があれば>世の中には白黒つけられないグレーなことや人が多いことを受け入れられた方がいいと。
(これは私が気持ち悪いと感じていたものを受け入れるということで、考えただけですでに吐き気がしてできる気がしない…)

そして、私にはその「体勢」ができていないんだという。普通の人だともう少し不愉快だと感じる場所に居れるという。

私はいわば、尖った山の頂上にいて、そこには平らな部分がなくて、右に落ちれば愛され、左に落ちれば否定、排外される世界に住んでいるらしい。そのため、困難が伴っていると。だから山頂に平らな部分を少しずつ作ることをしてみるといいらしい。これはピュアさゆえらしく、ピュアではこの社会は生きづらいらしい。まただからこそクリエイティブでアーティストに多いらしい。(そう言われても全く嬉しくないが…)

ある人からすれば、“子供っぽく”も見えるかもしれないが、私はまさに子供そのものらしく、
まさに物凄くピュアだということ。
人は大人になるにつれ、心が汚れていき、グレーな部分を受け入れられるようになるのに対し、その汚れがない状態なのだとか。
(言われたこと書いてるだけだからね)

そして、平らな部分を作って許容範囲を広げるには相手の気持ちを考えてみること。「私が排外されたと感じてその場を去る時、(私がそう感じたことを露知らない相手にとっては)自分に興味がないのかな?と思っているかもしれない」そんな風に考えられていなかった…。自分のことしか考えてなかったのかな…?


いつもそういう時に、自分が傷ついたつもりでいたけれど、その私の言動が、もしも相手を傷つけていたら? そんな風に初めて思ったことに更なる衝撃を覚え…。そしてもし私がこんな風でなかったら…?と初めて考えた時、必要以上のものを失ってきたかもしれないと、今まで考えも及ばなかった世界に戸惑う。

カウンセリングを受けて、そんな風に思えた。

今までこれほど自分のことを考えたことがなかったが、自分自身の考え方の特徴をきちんと冷静に、整理されていく感覚。自分一人では知り得なかったことが一つひとつ紐解かれていくような不思議な感覚を覚える。そしてきっとこれは友達に相談するというのとは少し違う気がする。カウンセリングねぇ……とか、それはそれで認めようと思う。


時を同じくして、先月予約していたタロットリーディングをして頂く。


以下、タロットリーディングで言われたことをまとめる:

・人のために何かをすることは私の魂の叫びで魂が必要としていることなので、それは合っている。

・私が「それはおかしい」と指摘することで衝突をしてしまうことが(特定の団体の場で)多く、私がコミュ障とか精神病なのではないかと自分自身を疑ってしまう状態に陥っていて、どうしたらいいのか生まれて初めて分からなくなった、ということを相談すると)
「あなたは天才なので、凡人と居る必要がない。凡人と衝突した時、周りがあなたを押さつけようとしたり、あなたが言うことを理解しないのは、あなたの言っていることが的を得ていているために、凡人には分からない、または受け入れられない。特に閉鎖的な人達にとっては余計に。」

・未練があるなら、その人達といてもいいが、どうしても必要とすることや人達でないなら、(魂としては)その活動でなくても、別な活動でいい。

・あなたは天才なので、凡人達に自分の指摘が通じないことに苦しむことはエネルギーの無駄。

・私の星座は、閉鎖的、古いものを壊し、そうした所に新しい空気を入れる人

・特に閉鎖的な人達には受け入れ難い人。何なら、私が頭おかしいと思われている(私は相手をおかしいと思っている)

・(カウンセリングをして私が変わる必要があるか聞くと)「あなたには必要ない。自分が本当に必要とする人は直感的に分かるはず。あなたは天才達と一緒に居る方が、才能が引き出される。しいていうなら、カウンセリングよりも、そういう天才的な先生的な存在と出会うといい。」

・私は精神病ではない。

かなり私の悩みの種をディスってくれているし、
私は天才でも周りが凡人だとも思ってはいないけれど、
そんな風に捉えると、道を選択しやすくはなったし、凄く気分が楽になった。

選択をする時、どちらかというと、
“自分がそこにいたいか、いたくないか”という観点で考えやすく、それゆえ、迷いが生じていたが、
“そこに未練があるか、ないか”という観点は、選択をしやすくさせてくれた。

今まで直感的にしていた要不要をできなくなってしまった私にとって、
精神科もカウンセリングもタロットリーディングも、混乱している時、第三者で冷静に物事を整理してくれるツールなら何でも試したいという今までにまったくなかった境地ではあったが、
タロットリーディングは、性格的なところではなく、魂という存在として“あなたはこういう人だから、こうした方がうまくいく”と、初めて会う私のことを全く知る由もない人が、なんだか私のことを知っているような第三者に言われるのは不思議と受け入れやすく、非常に新鮮な体験であった。そういうツールも、時に有効であると感じた。

私が今回ここで公にしたのは、自分のことを初めて多くの人に知ってほしいと思ったから。

正直、自分のそうした所があることを人に伝えて「だからよろしく」なんて理解を求めようとすること自体、横柄だと思って、言っていいのか分からなかったから、伝えることはしてこなかったが、

今しかきっと声を大にして伝えることが許されない気がして。

本人は無意識に過敏になっている場合があって、何気ない人の言動一つが物凄いダメージを与え、場合によっては物凄い混乱のキッカケになり得るんだということを、どうか、できたらでもいいから、知ってほしいと切に願ってやまない。

多くの人が「何気ない」「些細な」言動だと思っても、その言われたり、されたことが本人にとっては、「些細」でも「何気ない」ことではなく、むしろその言動に物凄く重大なメッセージを感じ取るということ。人の言動には意味は往々にしてあり、何より、本人にとって、その「些細な」言動は否定的、排外的、不誠実であることを直感的に分かるから。※否定的、排外的、不誠実“だと思う”ではないということ。

私にとって、自分が感じる人の否定的、排外的な言動で反応した時は、明らかに相手が私に対しての言動が不誠実であることは、事実以外の何ものでもないから、それを受け入れるというのは非常に困難。「あなたは取るに足らない」というその人のメッセージをなかったことにしてどうしてやり過ごせるのか、とても理解できない。


さらには私が反論した時に周りが「まぁまぁ…」と明らかに嫌そうな顔をして私から反論の機会を奪って、不誠実な人を擁護する人達を私はまったく理解できない。どうしたらそれを受け入れられるようになるというのだろう…。できれば、そして相手にその言動は不誠実であることを知ってほしいと実は強く思っている。でもそれを言えないから、なのではないかなと今は思う。


これは私の勝手な理解だが、
カウンセリングは、私に何か特徴があって、それを自覚した上で、どのようにしたら、山頂に平らな部分を作り、自分の中に許容スペースを作って、グレーな世界を生きられるようになるか、その整理を一緒にしてもらう機会なのに対し、
タロットリーディングの場合は、私の魂の性質と、どうするとそれが活きるかを教えてくれた。

私はタロットリーディングで教えて頂いたことの方が自然と受け入れられて、気持ちがだいぶ楽になった・・

私の感じていた違和感がその場が閉鎖的で、だから私には合わず、それゆえ衝突も多くなってしまっていたと分かったから。

それが分かったことと、
誰も認めてくれなかった私が感じ続けてきた「否定」や「排外」を認めてもらえた気がして、
物凄く気持ちが楽になって、実際寝れるようになった。

自分勝手に聞こえるかもしれないけれど、
大切なのは自分の直感に従うことが悪いことではないということと、
的を得ていることが往々にしてあるということ。
それでいいということを初めて言ってもらえた気がする。

道に迷った時、タロットリーディングというツールも有効なのだろう。
(それを気に入らなければ、違うツールを選べばいい)

ということで、
恐らくそういう人達からはやっぱり離れると思う。(今まで直感的にしてきたように)
ある程度、そこに居る努力をしてきて、やっぱり息苦しいんだから。
それを大切にした方が身のためだし、
「身のため」を大切にすることはわるいことじゃない。

理解してもらいたいと思うことはあるけれど、
やっぱり出来る限り主張、反論してきたから、それでも伝わらなかったわけで、
もういいや。

ポイっ。

最後まで読んでくれてありがとうございます。

自分ばかりが苦しんでいるように聞こえて、不快に思われたら、申し訳ない。

きっと私と同じ様な人は沢山いると思います。
だから自分だけが苦しいなんて、思ってはいません。

ただ、私みたいなのも居ることを、知って頂く機会になれば物凄く嬉しいなと思います。

正直まだ、人の言動に違和感を覚えることはあるし、
あと最近は、私のことを「好き」とか「嫌い」って言われることがよく分からない。

人にあなたの感覚を元に好きだとか嫌いとかジャッジされたくないんですけど。

本当にどうでもいい。

惑わされない揺るぎない凛とした感覚を自分がどれだけ保てるか。

そして、自分がそうならないように、成長できたらいいなと思う。