JOURNAL ASIA

日本の高レベル放射性廃棄物のゆくえを追う

フリーランスという職業

自分のしてることは一体なんなんだと。

前から思っていたが、今週はそれを強く
認識させられた一週間だった。

ダメもとが多すぎる。





書いても書いても無視。

書いても書いても却下。

書いても書いてももはや読んでもらえない。




この一週間は取材依頼の為の書類作成にほぼ費やした。



読んでもらえないってウケるでしょ。
ねばって、見てもらうことはOKもらったけど、本当にフリーランスという職業の
認知度、理解度の低さを思い知った。



とは言え、いくらでも書く。マスコミなら必要のない書面を求められれば、不必要にでも書く。







ただ企画書は特にそうなんだけど、スルーじゃなくてダメ出しとか指摘、注文を言って頂けると非常に勉強になる。取材希望対象者―特に行政―には色々学ぶことが多い。文句言う上、注文が多いから。それを今批判してるのではなく、多分それをちゃんと聞けば、“どう訂正していいのか”逆にヒントを得られるから、きっともっといい企画書を書けるようになると思う。普通スルーが多いから、有難い。





最近いよいよ開始した某省に対する取材依頼が特にそう。



遂に言われた。



鼻で笑いながら、「『取材申請書』と云われましても、単なるメモですからね。」

更に言葉責めは続く。

「それって個人的な質問ですよね?」「我々も個人の質問や疑問を受けるために仕事してる訳じゃないですから」(これと全く同じことを横須賀市港湾課にも言われたことある。)

そして、企画書見ることすら最初拒み続けるから、私は私でねばった末、「わかりました。でもどういうものに反映されるのか、その目的をはっきりさせて下さいね。」「見て、それ(取材/撮影)を受けるに値するか判断します。」



わたしが一週間かけて練って書いた「取材申請書」も「企画書」も何もかも単なるメモにすぎないのか。



(「値するか判断」するっていう言葉には、若干反発した。「××省ですよね?国の機関ですよね??」って。訴訟になってるの多分知らないのかもって思った。多分、分かってたらああいう態度にはならないと思うし。)



だけど、フリーランスである以上、この彼の発言からは学ぶことが多い。



今後の課題:



☆「個人的な質問」の枠を越えること。

「個人的質問」越えは、わたしのしていること、しようとしていることが、何故必要なのか、社会的に必要なのか、何だかとても根本的なことをあたしが立証する場面。

↑そもそも捉え方の問題だとしたら、これは課題になり得ない事柄かもしれない、と少し疑問も持ちつつ、しかししようとすると、結構難しい。これに答えられなかったら確かに個人的な質問ごときになってしまいかねない。


☆「用途」(素材の使い道)には、「どういうものに反映されるのか」を明確にすることを含む。

「どういうものに反映されるのか、目的をはっきりさせて下さいね」って云った彼の言葉が言葉としてはそのまんまなんだと思うんだけど、あたしには感覚的解釈的に“どのように取り扱うのかはっきりさせるように”っていう風に印象付き残ってる。

特行政サイドであれば、そこに慎重になるのは、ある意味当然といえば当然だろうということ。

ちなみに、前回別件で学んで今回気をつけた本当は基本的なこと:

☆企画書に「抽象」はNG。

趣旨目的用途をはっきりと。




結局某省は目は通してくれることにはなった。

他2件、同取材依頼の話をしたところ、某省とは異なり、2件とも話の段階で、趣旨・目的は分かったが、一先ず「取材申請・企画書」に目を通し、検討してくれるとしている。内1件は既に撮影は難しいとのこと。しかし話だけなら可能だと思う。(とにかく書類を見てみる。)


◎今日の一冊◎


最近読んでる本



自衛隊員が死んでいく―“自殺事故”多発地帯からの報告



『自衛隊員が死んでいく―“自殺事故”多発地帯からの報告』



先日、著者であるジャーナリストの三宅さんから買った本。

本読んでると吸い込まれてく。勿論内容がそうさせるのも多分にあるけど、そんな本を書く三宅さんって云う人にろくに話したことないけど、
ただただすごいなーって思う。人として、ジャーナリストとして。

恐縮ながら物凄く励みになるし、沢山吸収したい。

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