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米兵によるタクシードライバー殺害事件【横須賀】

横須賀であったタクシードライバー殺人事件は記憶に新しいと思う。

事件が起こったのは実は2008年3月で、「記憶に新しい」とは云え、なんだかんだで10ヶ月経っているし、少しすれば1年経つ事件。

この米兵の公判が昨年12月から始まっていて、初公判から傍聴はしてきたけど、もう1ヶ月以上経つ。

初公判の日、駆けつけた人たちは入りきらない程の人たちで、あたしが行った時にはもう既に閉め切っていて、定員も一杯になってた。

だけど、どうしても入りたかったから、席増やしてほしいと係の人にかけ合ってたら、それを見た人がササっと自分の手にあった「余った一枚」を差し出してくれて、入れた。







今月もう5回、6回と開かれたけど、初日が嘘のように減った。

各公判はほぼ一日がかり。



書いてみたら量が結構出ちゃって、けど掲載の際はスペースにはかなり限りが…
軽く事件の紹介に過ぎなくなってしまった。

これぢゃ「記者」と変わりない。。

こんな時思い出す。

とある地方新聞の海外支部の記者さんのブログ記事にあった言葉―。

「事件報道の本質は、事件「で」何を書くか、であって、事件「を」書くことではないはずなのだ。」

そしてちょうどこの言葉の通り、この事件で書きたいことある。

取材しないと。

話を本題に戻そう。

「ナイフを持って外に出ろ。見かけた人を刺せ。」という「『声』の命令」が聞こえたとウズボグ氏は供述してて。

「そもそも良い、悪いすら考えなかった。ただ実行することだけを考えていた。」

法廷でも問われたが、「冷静に考えれば、ナイフで人を刺すというのは犯罪行為。悪いことをしてしまうという判断は出来なかったのか。」との質問に、「『声』に逆らえば、彼らが私の命を奪うのではないかと恐れていた。『声』は強いというか、圧倒的なもの。」と、「声」に逆らうことが出来ない理由を述べている。


被告は本当に精神疾患/精神病を患っていたのか―?



最大の争点は、幻聴だったのか否か、にほぼ尽きるといえる。



被告+弁護人が主張する「(したことは)声の命令によるもの」を巡り、争われている被告の精神状態を探るため、今週初めて証人尋問がとり行われ、被告の母親と、当時同棲してた日本人の元カノ、被告の同僚が出廷し、そして被告自身も法廷台に立った。

ちなみに母親が息子である被告と対面するのは、2007年6月、被告が日本での任務に就くため発った時以来。



なんだけど、証人尋問はどちらかというと、調書をなぞる形で、期待してたより証言を出して、事件を掘り下げることは出来ていなかったように思う。

ただ、興味深かったのは、弁護人側の証人であるはずの母親から被告の精神病の疑いがある証言が得られなかったこと。それ以上に、「被告が『声によってこうなる』とはっきり聞いたことがあるのか。」という裁判長の質問に、「(彼が)『声によってこうなる』とはっきり言ったわけではない。」と答え、そもそも母親は彼を精神病を患っていると思ったことがないという。「今となっては、理解出来る・・。」と過去にまともにとり合ってやらなかったことを悔むような感じだった。



法廷内で言葉を交わすことは許されない。

「話せるとしたら何と言ってあげたいか。」との弁護人の質問を受けると、息子の方に体を向け、「真のあなたがしてしまったことではないことを今私は知っています。」と投げかけるように述べた。



とにかく、精神病を患っていたよう、とか/「声」に悩まされていたみたい、、って云う証言が現時点では出ておらず、証明がなされてない。

主張しているのは被告+弁護人のみ、という状況になる。



ちなみにこの証人尋問に関して、初公判の時から傍聴に来ているStars and Stripesのリトルさんが書いた記事が早速、ウェブ上で出ていたので紹介する。



Mom, ex-girlfriend testify in Ugbogu case

‘Voices’ disputed in seaman’s murder trial




こないだ、リトルさんに、米海軍の間でこの問題は注目されているのか聞いたら、注目されてると答えた。この事件後、厳しくなったしね、と。



思ったんだけど、変な話、「被告」の立場に置かれる人間はその言動に意味を見出されるわけで。



全ての行動に、それが合理的か、非合理的か、考えてしているのか、無意識か、

するはずがないか、実は考えながらしたのか、

在る種、勝手に推測され、意見が交わされる。



自分に置き換えて考えてみた。



私自身、意味分かんない行動はよくしている。真面目に。



例えば、ファミマで買い物したけど、その直後にサンクス行くとか。

仕事終わったのに、職場に残って乗りたい電車の時間になるために時間潰すとか。

「乗りたい電車の時間になるため」って云うのを証明なんて出来ないし。。

あとは、カフェって、別のとこへゴハン食べに行って、その後また別のとこでカフェるとか。

あと無意味に歩いてたりとか。

それを、例えば自分が何らかの事件を引き起こしたり、巻き込まれたとなったとき、

それは合理的な行動か、もしくは精神的に不安定な状況にあっただとか、「不自然」とか、、他人に憶測で云われるんだから、それはそれで結構たまったもんじゃない。



と思ったり。



別に誰の肩持つとか全くないけど、例えば、「ノリで」
なんて通用しないんじゃないかと思ってしまう。


あと、そういう意味で他に思ったのは、元カノの証言部分で、

文化包丁がなくなった際、何処にあるか知らないか被告に聞いた際「ゴミ箱に捨ててしまったかもしれない。」と答えた被告に対し、疑い深く聞き直したが、それ以上追求することはしなかったという。時々、嘘をついているんじゃないかな、と疑うような発言はあったが、特に気に留めることもなかったという。

それが法廷では「え?」って思わなかったのか的になるのも分かんなくないけど、そりゃ「え?」って思っても(元カノも思ったことは思ったみたいだけど)、“犯罪に使われたのかも・・”ってその時に思う方が不自然でしょ、、とか思うけどね。



逆にここから学べるのは、いつ何があるか分からないから、不自然っぽいことがあったら、その時に追求しとくことなのかな・・。



てか約1年前のことを覚えてる時点で凄い。。。





とりあえず、この件は「米兵犯罪」って単一視出来ない感があたしにはある。





関連ブログ記事次アップします。

ただ一つ云えるのは、本当のとこなんて、誰も知る由もなしって感じ。。。



これで結論が出るんだから、不思議だね。

だからさ、法律屋がやってもこうなんだから、素人が判断するのにはあたしはやっぱり抵抗を感じる。。あたしはね。

1月27日の毎日新聞にちょっと“へー”的な記事を目にしたんだけど、「きっと素晴らしい経験を得られるだろう」的な感じで、「スリリングな審議も出来ると思う。」と、その記者さんは、まぁ肯定的って云うか意欲的?「80年代のおくすることなく臨んだ日本人に感動した」そうで。けど同時に「死刑は慎重に」って書く。

刑罰を与えること、死刑判決を下すこと、具体的な事柄は全く違うものであっても、判断する側が重みに違いをもって慎重さを変えるって云うのは有り得ないと思う。。。

あたしは裁判の審議にこの記者さんが云うような「スリリング(さ)」や「面白さ」を求めたりする場ではないと思うんだよぉ。一番腹立つのは「当たったらやってみたい。」



考え方はいろいろあっていいと思うことは思うけど。





*一緒にランチした方の分<カキフライ定食>





*あたしは<海鮮丼>





*そして一日がかりの傍聴を終え、甘めに。



→同件が係争中されている横浜地裁は、日本大通りにある。

そして、同地裁付近には夜は飲み屋的な昼間はめっちゃおいしー定食屋があるのねあくる


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