JOURNAL ASIA
 

【記録用】「東北地方太平洋沖地震」

今の地震の被害も含め、状況を記録しておきたいため、
転載させて頂く。
情報元は末尾に記載。

国内最大の地震 津波厳重警戒
3月11日 23時16分

11日午後、東北の太平洋沿岸で、国内の観測史上最大のマグニチュード8.8の巨大地震があり、宮城県で震度7の非常に激しい揺れを観測したほか、福島県では7メートルを超える大津波が観測されるなど、北海道から沖縄県にかけての広い範囲に津波が押し寄せています。気象庁は、太平洋側を中心に、全国の沿岸各地に大津波警報と津波警報を出して厳重な警戒を呼びかけるとともに、余震の揺れにも警戒するよう呼びかけています。
気象庁の観測によりますと、11日午後2時46分ごろ、三陸沖を震源地とするマグニチュード8.8の巨大地震が起きました。この地震で、▽福島県相馬港では午後3時50分に7メートル30センチ以上の大津波を観測したほか、▽茨城県大洗港では午後4時52分に4メートル20センチ、▽岩手県釜石港で午後3時21分に4メートル10センチ以上、▽さらに岩手県宮古港で午後3時21分に4メートル以上の大津波を観測しました。気象庁によりますと、東北の沿岸にあるほとんど検潮所と、北海道と関東の一部の検潮所では、津波の観測データが入らなくなり、現在、津波の高さが分からない状態となっています。このため東北などでは、これまでに観測された7メートルを超える大津波より、さらに大きな津波が押し寄せているおそれがあるということです。また、北海道と東北の太平洋沿岸の各地で3メートル以上の大津波を観測しているほか、▽高知県の須崎港で2メートル60センチ、▽千葉県銚子市で2メートル20センチ、▽横浜港と宮崎港で1メートル60センチ、▽東京の晴海でも1メートル30センチの津波を観測し、津波は北海道から沖縄県にかけての広い範囲に及んでいます。気象庁は、▽北海道から静岡県にかけての太平洋沿岸と、青森県日本海沿岸、和歌山県、徳島県の沿岸、それに伊豆諸島と小笠原諸島に大津波警報を、▽東京湾から沖縄県にかけての太平洋沿岸と東シナ海の沿岸、北海道日本海沿岸南部、それに青森県の陸奥湾に津波警報を発表しています。予想される津波の高さは、大津波警報が出ている沿岸の高いところでは10メートル以上、津波警報が出ている沿岸も高いところで2メートルの見込みです。津波は場所によってはさらに数倍の高さになり、今後も、繰り返し何度も押し寄せます。海岸や川の河口付近、海に近い川沿いにいる方はできるだけ高いところに避難し、警報が出ている間、絶対に戻らないでください。海岸などに様子を見に行くのは大変に危険ですから絶対にやめてください。この地震で、▽宮城県栗原市では震度7の非常に激しい揺れを観測し、▽仙台市宮城野区や宮城県大崎市、塩竃市、福島県須賀川市、白河市、宇都宮市、茨城県の日立市、鉾田市など、東北南部と関東北部の各地で震度6強の激しい揺れを観測しました。さらに、▽震度6弱が岩手県大船渡市と花巻市、仙台市青葉区、宮城県石巻市、福島県郡山市、いわき市、茨城県ひたちなか市、土浦市、栃木県那須塩原市、群馬県桐生市、埼玉県宮代町、千葉県成田市などで、▽北海道から九州にかけての広い範囲で最大、震度5強の揺れを観測しました。気象庁は、この地震を「東北地方太平洋沖地震」と名付けました。気象庁によりますと、震源の深さは24キロと推定され、地震の規模を示すマグニチュード8.8は、地震の観測が始まった明治以降、国内では最大となります。この地震のあと、本州の太平洋側を中心に余震とみられる地震が続き、マグニチュード7前後の大きな地震が相次いで発生しています。気象庁は、津波に厳重に警戒するとともに、広い範囲で余震の揺れによる建物の倒壊や土砂災害などに警戒するよう呼びかけています。



情報もと:http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110311/t10014611291000.html


↓残しておきたい良い記事転載【保存用】↓


届かぬ食材、閉まる店…福島・南相馬、深刻な食料不足
(朝日 2011年3月23日20時1分)

 福島第一原発の北にある福島県南相馬市。放射能を恐れる人が次々と街を離れた。人口7万人の市に、残るのは2万人。物資の輸送が滞り、各世帯の食料は尽きかけている。市の関係者は漏らす。

 「このままでは餓死する人が出かねない」

 「避難した人も不安、残った人も不安だよ」。同市鹿島地区の農家鈴木浩さん(65)は語る。原発の半径20~30キロ圏に一部がかかる1万1千人の同地区。残っているのは1300人ほどという。

 近隣の店も閉まり、食材は隣の相馬市まで車で20~30分かけて買いに行く。走行距離は平均40~50キロ。食事は自分の家で作った米と缶詰、ソーセージなどが多い。

 もうすぐ種まきの時期だ。「でも、誰も買わないなら作っても意味がない。どうやって暮らしていけばいいか」

 人口7万人の同市は、避難指示の半径20キロ圏▽屋内退避の20~30キロ圏▽何も指示のない30キロ超の区域――の三つに分断された。市は、避難指示の地区以外も含め、希望する住民を新潟県、群馬県、長野県などにバスで送り出した。

 「国には30キロ圏まで避難を指示してほしかった」。桜井勝延市長は残念がる。「屋内退避」という政府の判断が市民の放射線への不安を助長した。「言葉が独り歩きして『南相馬市は危ないのではないか』と思われてしまった」

 ガソリンのタンクローリーの運転手が南相馬市のはるか手前で乗り入れを拒んだため、市は大型免許を持つ職員や市民に取りに行かせた。食料品などの生活用品が届かず、スーパーやコンビニが次々と営業をやめ、市全体が深刻な物資不足に陥った。市の関係者は「各家庭の食べ物は底をつきはじめていると思う」と話す。相馬市の相馬総合卸売市場を貸し切って、運送業者が24時間常駐し南相馬市内への食料供給に対応している。ここが命綱だが、届く食料は先細りだ。

 南相馬市立総合病院の金澤幸夫院長は、急患に対応するため、今も病院に残っている。「ここには救急車すら入ってこない。30キロ圏内に入る手前で救急車から自衛隊の車に患者を乗せかえている」と憤る。

 暮らしたくても暮らせない。街は風前のともしびだ。

      ◇

 一部地域が屋内退避の対象となった福島県いわき市では、市民の流出が止まらない。市は人口34万人のうち、すでに5万人超が市外へ避難したとみている。

 23日午前、市内の常磐道いわき中央インターチェンジでは、関東方面へ向かう乗用車が目立った。近くに住む橋本将夫さん(63)は「21日から、ずいぶん車が増えた。みんな逃げてるんだ」。

 橋本さんの家の前には飲み物の自動販売機などがある。高速に入る前に立ち寄るドライバーたちと話してみると、みな「放射能が怖いから避難する」と言う。「特に赤ちゃんがいる人は心配しているよ」

 11日の地震で通行止めになっていた常磐道は、21日からいわき中央インターから関東方面の通行を再開。ガソリンも届き始め、20日から営業を始めたスタンドもある。待望の燃料だが、マイカーの給油を終えると、そのまま県外へ出る人も。東京行きの高速バスでも満席が続く。

 そもそも市域の大半は原発から30~50キロ圏におさまる。市内の大気中の放射線量も一時高まったが、17日以降は比較的低い水準で推移している。それでも、市は15日、国が20~30キロ圏に屋内退避を指示した際、広報車や地元FM局を通じて市全域に「外出自粛」を呼びかけた。

 鈴木英司副市長(59)は「15日は雨。放射線がどう影響するか分からないなか、原発から30キロ圏の内と外で対応を変えれば、市民が混乱すると考えた」と説明する。

 しかし、市民の受け止め方は違った。「国の指示なら『安全圏』なのに、市は危険だと言わんばかり。一体どっちなんだ」。原発から40キロ付近に住む会社役員の男性(64)は怒る。「市の全体が危ないという話が広まった。市民が逃げるような街に物資を届ける人なんかいない」

 関東方面から燃料や食料を運ぶ運送会社の中には、途中の福島県郡山市までしか運ばない業者も増えた。市職員や消防隊員が郡山まで荷物を取りに行ったが、ガソリン不足で回数は限られた。

 市内はまだ6割の世帯で断水中。「20キロ圏内の住民が私たちの目の前を通って逃げていった。市内には食べ物も水もない。市が『大丈夫です』と言っても説得力がない」。市職員はため息をついた。

 ここ数日、徐々に物資が届き始めた。時間限定で営業を再開したスーパーでは、パンや弁当を確保しようと長い列ができた。鈴木副市長は「市全域に外出自粛を呼びかけたのは大げさすぎたかもしれない。だが、国の指示がそもそも中途半端だった」と言う。

      ◇

 一部が屋内退避圏にかかる福島県飯舘村。人口6100人の村には今、ほぼ半数の3200人しか残っていない。

 村内では原発事故以降、大気中や栽培するブロッコリーから高めの放射線量や高濃度の放射性物質を検出。23日には、文部科学省が村内の土壌からも高濃度の放射性物質・セシウムを検出したと発表した。

 菅野典雄村長は訴える。「なぜこうなったのか、村はどうすればいいのか。国から全く示されず困っている」

 村内で不安が高まったのは18日。大気中の放射線量がテレビなどで放送され、時には原発により近い地域よりも高い数値を示した。住民から不安を訴える声が相次いだ。

 「どうして今まで隠していたのか」「早く村の外に逃げたい」……。村の幹部会はこの日、「大規模な避難もやむを得ない」として希望者が離村する際の支援策を決めた。

 希望する村民と避難指示地域などから村内に退避していた人ら計314人が19日、バスで栃木県鹿沼市に到着。20日にも195人が同市へ逃れた。マイカーで避難する住民にも、20リットル分のガソリンを優先的に給油できるチケットを配布。村に4カ所あった避難所はすべて閉鎖した。

 村から鹿沼市に避難した高橋薫さん(40)の一家は、家族8人のうち夫ら3人が村に残る。「家は井戸水だから震災後も苦労はしなかった。でも、夫に『子どもにこれからどんな症状が出るか分からないから』と言われて出た。いつ帰れるんだろう。残してきた家族が心配です」


情報もと:http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103230384.html

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